☆雑文12・小泉首相と靖国雑感
何でいまさらこれかとも思うが、ちょっと気分を整理する上でこういうことをやってみるのは悪くないことだ。
小泉首相は嫌いじゃない。
毎年叫ばれる○月危機を幾度となくスルーして、今年に到って遂にそれを聞かなくなったし、
なかなか良くやってるんじゃないか。
その小泉首相の趣味、靖国参拝。
これに関して、真面目に考えれば、そもそも何一つ否定すべき点はないはずだ。
韓国も中国も、日本の共産党と社民党と朝日新聞の自民崩しキャンペーンにのっかって、
何も知らないのに政治カードの一枚として使っているに過ぎない。
きちんと説明さえすれば、問題になるようなことではないものの筈であるが、
何故か首相ははじめからだんまりのままだ。
これが不思議だし不満だし、腹も立つ。
何も言わないということは、首相本人も戦争神社としか思ってないということではないのか。
そうでないとすれば、他人をバカだと思っているということに他ならず、やはり気分が悪い男だ。
神道にのっとって言えば、国事殉難者という荒御霊をおなぐさめせず放っておけば、
かえって祟りで戦争がおこるに違いない。
政教分離というのは、お告げや聖戦や、神に任命された大統領の聖なる軍隊がサタンの軍勢と戦う
(アメリカ軍人が去年10月に言った)とかの発想を禁じるものであって、
例えば首相の結婚式で、神式や洋式を禁じる類のものではないはず。それはいちゃもんの域を出るものではない。
宗教が麻薬だという発想を引きずっている人たちの言を聞く必要はない。
外国の批判に関しては、それこそ外国が政教一致させて批判することなど放っておけばよろしい。
A級戦犯については、彼らに弾圧された社会党や共産党が何と言おうとも、あの東京裁判の判決を正義として
ものを言うのは、アメリカべったりの外交を批判する人たちの言うべきことではない。
韓国人兵士の合祀を取り下げてもらいたがるのは、儒教でいえば、赤の他人が大事な先祖を勝手に
どうこうするのは許し難いことでもあろうが、他人なりとも、
自分たちのために働いてくれた人に感謝するカタチとして認めて欲しいところだ。
これは、今後そういう説明をして、理解を求めていって欲しいものだ。
何でそういうことを言わないかね。コウタロウの為にも。可哀相に、仕事干されてるじゃないか。
太平洋戦争に関して私の思うことは、やはり失敗だったということで、
結果論としてアジアの独立が促進されようが、それは当時の日本政府の願いではなかっただろう。
人種差別の解消に役立ったのは結局、アメリカの黒人運動であっただろう。その辺に詳しいわけでもないが。
その近代史の人種差別というヤツについて、もうひとつ分からなかった私が考えてみた理屈。
ドーベルマンとチワワは、どちらも同じ犬で、混血も出来るほど同じ犬だが、
能力まで同じだとはとても自然には思えまい。
そう思ってみれば、近代国家を運営できなかった有色人種は無色人種に劣るはずである。
だから、近代国家を見事に運営してみせた近代日本の功績は大きい。
ただし、第一次世界大戦以降八方ふさがりになってからを美化することもあるまい。
ところで私は、伊藤博文を日本史で三本の指に数えられる偉人だと思っている。
韓国の英雄、伊藤博文を暗殺した安重根などは、例えて言えば
庭に突っ込んできたダンプカーの、ブレーキとハンドルを破壊して一矢報いたと喜ぶパガヤロウだ。
結局、母屋もダンプも全部壊れてしまった。
全部壊れた跡に作られているのがいまの東アジアで、少なくとも美しくはない。
伊藤の最期がもう少しシャンとしておれば、戦前の政治家の発言力はもう少し大きなものになっていただろう。
そうしたら、外交的にもう少しマシな現代が作られたはずだ。
で、その伊藤なども国事殉難者だから靖国にいる。これこそ韓国人には激怒ものだろうが。
まぁ、いろいろ歴史があるのだよ、というのが結論。
それにしても、チョナン・カンとして韓国で売り出したSMAPの草薙剛が、
03年末、韓国史上最悪の人物・豊臣秀吉を善人として演じたのは、好意的に笑わせてもらった。
いろんな価値観が認められることは、社会にとってもっとも望ましい。