☆読書録 6 『見仏記』持って法隆寺へ

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だいぶん昔に作った、3DCGの「法隆寺百済観音」。
何かMikoto用で、他ページ様と絶対に競合しないようなブツを、ということで、選んだのが、必然的に、仏像。
資料を探して、それがもっとも豊富かつ美しかったのが『魅惑の仏像』シリーズの14巻、『百済観音』。
まあそんなわけだから、さっさと作ってそれきりにしていたのだが、
いろいろページ内を整理しているうちに、やっぱりこれは手抜きだったかなぁ、と。
そう思ってしまった一因に、この『見仏記』がある。
みうらじゅん氏と、いとうせいこう氏が信仰でも美術的ナニヤラでもなく、だらだら仏像を見てくるエッセイだ。
「見仏」(けんぶつ)。ためしにグーグルで検索してみると、出るわ出るわの「私も見仏してきました」ページ。
さすが「クソゲー」「マイブーム」などの一般名詞を発明した、みうらじゅん。
と、思いながら仏系ページをサーフィンしていると、結構目に付く「百済観音」。
競合しないから、は、確かに競合しないのだが、有名なことは有名だったんじゃないか。そして大人気。
ぜんぜん知らなかったが、これは、思い直して作り直さねば。
したがって5月の或る良い天気の日、景気付けのために法隆寺へ現物を見に行くことにした。
奈良。
私は京都人であるが、以前、奈良の人に「京都は町と寺がミックスされてていいねぇ」と言われたことがある。
奈良には町が無いらしい。
JR奈良駅に降り立って半分納得したことであるが、ここから法隆寺駅へ乗り継がねばならない。
法隆寺駅前の人通りのない商店街をぬけ、妙に見晴らしのいい道を2キロ弱、他にすることもなくポクポク歩くと、
法隆寺前のバス停。奈良駅から直行していたらしいが、そのまま法隆寺へ。
『見仏記』にあった謎のみやげ物(いやげもの?)”ラビットボール”は最早ないが、Vo,G,B,Drの配置に例えられた、
西院伽藍の中門、塔、金堂、講堂がそびえ立ち、笑わせてくれる。
それにしても、この修学旅行生の渦。5月というシーズンも悪いが、制服で見て4、5校、各数百人。多い。
拝観は一人千円。寺の拝観料は常にぼったくり気味なので嫌だが、まさか、だからと帰るわけにもいかない。
お目当ての百済観音は、ピンで「百済観音堂」が立てられており、その中に居る。
『見仏記』の時には無かった御堂だ。モノはともかく、発想が安っぽい建物で気に入らないが、かの観音様が居られる。
意図的に胸を高鳴らせて入る。
そもそもこの百済観音は謎の仏像だ。
頭頂は2.1mだが、3m位に見える。意外なほど大きい。確かに長いが、大きい分、写真より横があるように見える。
光背まで入れると実際に大きいわけだが、それほど大きいこのヒトが、
来歴不詳なのである。
7世紀より新しい筈はないのに、18世紀まで記録のない、現在では世界的に評価の高い美仏。
その18世紀に、百済から来た天竺作というハナシ、と記録されるが、クスノキ材の仏像は日本製特有なので、
やはり彼は日本製だと。しかし、同じ作者のものと思われるような仏はどこにも無い、と。
2m超の仏像が、いつからか本堂の隅っこに鎮座ましましておって誰もその来歴を知らないという。
まさに私好み。絶対的にイカス。
しかし残念なことには、今この観音様は、真新しい展示スペースにガラスケースの中で飾られているということで、
そうでなくとも隅々までチェック済みであるこの方に、今更第一印象でもないということで、
ああ、会えましたな、という感じで、いろんな本にあるほどの感激的なものは、特別無かった。
それでも、実物の存在感は圧倒的であり、心地よい興奮と遠出した充実感を味わえた。
「ひとブツ浴びる」との表現に妙に納得。
これを指して「岡本夏生」「ボディコンのルーツ」はちがうな、とは思うが。
話を変えて、電車の中で読んだ『見仏記』。
仏像関係の勉強には、気持ちいいくらいに、ならない。一応1,2ページ、「友達に差をつけろ!」などと図説を載せてあるが、
価値基準が「カッコイイ」「セクシー」だから、解釈すれば、フィギュアを見る気分、だろう。
文化の代表選手のような仏像が一瞬にしてサブカルチャーに降臨する感覚。しかし違和感はない。
仏像にアイドルを重ね見、時に昔の人の気分になり、仏そのものの気分になりつつ、全国を回る。
この第一作でこそ説明的にならざるを得ないが、間をおかずに開始された続編ではこなれたものだ。
簡単にシリーズ化するほど、支持と需要が隠されていたわけだ、サブカルとしての仏像。
第4作はみうらじゅんの「親孝行はプレイである!」の『新親孝行術』を受けて「親孝行編」だが、
「e見仏記」として、テーマ曲付でウェブでも読める。なんともはや。