☆読書録 7 山田風太郎の忍法帳シリーズ

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なんたる忍者か!彼は、塩に溶けるのであった。
人間ナメクジ忍者のこんな解説に、どう反応せよというのか。
『甲賀忍法帳』の一節である。昭和34年。人権やりたい放題の畸形アクション。
『甲賀忍法帳』は、甲賀卍谷の忍者と、伊賀鍔隠れの谷の忍者が10対10のバトルを繰り広げる小説である。
基本的にそれだけ。作者山田風太郎は、後に中島らもとの対談で「全く無意味な小説を書いてやろうと」したと言う。
戦いの動機は、一応、徳川将軍家の後継者争いを、源平時代から世に隠れて憎しみあうこの一族同士の勝負に賭ける、
という立派なものがあるが、なんたる事か、この「理由」は当事者の下へは届かない。
なぜなら、御前に召しだされた頭目同士が、その場を退いた途端に殺し合い、相打ちになるからである。
ただ、「各この9人を殺せ」という指令のみが、忍者たちのもとに届く。
一方、「甲賀ロミオと伊賀ジュリエット」(第2話の小題)である二人の主人公は、両里の和解のために、
結婚を目前に控えていた。
この若い二人を頼みがたしとする両里の幹部たちが、放たれた闘犬、闘鶏、のように、
大喜びで火に油を注ぎ続ける。
さて、どのような結末が待ち受けるのか。
という話である。
最終的な勝負の行方は、徳川3代将軍を決める戦いなのだから、読者は最初に分かっているわけで、
読者の追うべきは結果より経過である。似たものを探すならば、ジョジョのスタンドバトルが似ている。
ひとり一術の特殊技能をもって、敵の未知の術を探りながら頭脳プレイで一人ずつ始末していく。
違うのは、善悪がない事だ。それは動機が動機だけに当然のことでもあるが、
戦うためだけに戦い、みるみる人数が減っていく様には恐ろしいものがある。
ラストシーンは美しいが、余韻を味わうには凄惨すぎる。
ところで、『甲賀』での「忍術」とは、「長い間の近親婚によって作られた畸形」なのだそうである。
「忍法**!!」と叫ぶのは後のシリーズからで、今回は黙々とナメクジ化したり、皮膚から吸血したり、
生き返ったりする。ものすごい特殊な能力だが、黙ってやる分、妙な迫力がある。
第二シリーズの『伊賀忍法帳』から、おなじみの「ワザの名前を叫んで使う」様式が登場する。
「ギャラクティカ・マグナム!」とか「ザ・ワールド!」とか「昇竜拳!」とかのルーツがコレである。
「忍法木の葉返し!」は空中で飛ぶ方向を変える忍法である。
「忍法割れ甕!」は切った人間を縫い合わせて普通に動けるようにする忍法である。他人をつなげても良い。
今回の忍法は畸形ではなく、何らかの技術であるらしい。分かろうとするな感じるのだ。
『伊賀』は、主人公一人で、多数の悪を倒す話である。敵は松永久秀と根来の忍法僧。
主人公は任務を放棄したもと忍者、身体能力は高いが特別な忍法は無く、待ち伏せや変装で戦う。
ストーリーはエログロバイオレンス超ナンセンスであるが、やはり重要ではない。
主人公に芸が無いと、どうしても印象が薄い。
というわけで次は、『魔界転生』。改題前のタイトルは『おぼろ忍法帳』。映画は未見。
『魔界転生』は象徴的ないいタイトルだーと思っていたら「忍法魔界転生!」だったので驚いた。
今回の忍法は西洋錬金術と融合した魔術だ。
今回も主人公に忍法は無いが、『伊賀』より話が3倍くらい長いので、
「柳生十兵衛」というネームバリューもあって、格好いい主人公に出来上がっている。
敵は宮本武蔵ら、豊臣の遺臣が「忍法魔界転生」で蘇らせた剣聖たちと根来の忍法僧。
味方は自称柳生十人衆、護るべき三人の姫君とその弟の子供。
序盤の狂言回し、由比正雪は途中で忘れ去られる。
剣聖たちと十兵衛の一騎打ちと、十人衆と忍法僧の戦いの豪華二本立て忍法帳である。
しかし当然、比重はタイマン勝負に大きい。
『くのいち忍法帳』。
忍法帳シリーズには多くの女忍者が登場するが、表記は「女忍者」で統一している。
「くノ一」はこの『くのいち忍法帳』で「女を指す隠語」として紹介されるが、
本作のヒットによって、現在女忍者を指すように使われているという。
さて、その『くのいち』は、あるまじき「妊婦忍法バトル」であり、はらぼて忍者大活躍の巻である。
大阪城落城の際、真田幸村の指示によって、忍法を使って秀頼の子を身ごもった女忍者が、
家康の孫娘、千姫の腰元として脱出。
そのことを知った家康の差し向けた伊賀忍者との、例によっての皆殺し合戦が本作である。
今回の忍法にはもう設定は無い。
圧巻は終盤の、途中で合流した長曽我部の妻であった怪力女が、敵に囲まれる中での出産、
顔が出てきている状態で鎖鎌をぶん回し、敵を撃ち殺して包囲を脱する場面であった。
こんな小説、見たことない。
作者自身、「それにしても意味が無い」と思ってシリーズを終わらせただけあって、
十数シリーズ全部読破しようとは、確かに面白いのだが、さすがに思わない。
というより、皆殺しは肩がこる。
が、現在のあらゆるバトルもののオリジナルの祖形が詰まっているという、
すこしも色あせていない恐るべき40年前のシリーズである。
ものずきを自認する私がが今まで体験していなかったのは迂闊であった。
「意味がない」というキーワードは、教養ある大人が娯楽を求めるべきでなかった時代の産物で、
例えば『バガボンド』は作者が「これを読んでも勉強にはならない」ようなことを言っているが、
原作である吉川英二の『宮本武蔵』(戦前の新聞小説だが)は読んで勉強になるべき、
意味のあることを求められる時代の娯楽の代表格である。
今となっては「意味がない」と言うこと自体に意味がない。
作者自身が最高傑作と呼ぶ『笑い陰陽師』。これも忍法帳シリーズとして刊行されている。
この『笑い陰陽師』の意味のなさといったら、もう、どうしようもない。
上がバトルものの祖形だというなら、これは『えの素』の祖形というべき。
ちんこに埋め尽くされた一冊である。
怪獣ダンゴン。忍法独筋具(どっきんぐ)。
主人公は、甲賀卍谷のもと忍者と、もと伊賀忍者の夫婦の占い師。
あからさまな、作者によるパロディだが、凄惨で悲劇的な『甲賀忍法帳』の二人が、
100年生まれを変えてバカをやってると思えば、微笑ましくもなんだか嬉しくなる。
山田風太郎には、なんでも『うんこ殺人』というミステリーがあるそうだが、
私としては、こういう他人の理解を拒否する魂が、
理想でもあり、あこがれるところでもある。